宍喰の町で古目大師にお参りし国道55号線の水床トンネルを越えると土佐の国・高知県に入ります。いよいよ「修行の道場」入り。高知県最初の町が東洋町「甲浦」港町らしく旅館の多い町、入り組んだ岩礁が太平洋の荒波を防ぐのに打ってつけだったのだろう。
一豊・千代もここに上陸したとか、当時は土佐の国は京・大阪から見れば僻地だったのだろうに。ここで上陸し山に分け入ってハリマヤ橋方面に陸路を進んだのか。
高知県に入って約5キロほど進むと山と海との間がやや広くなる。東洋町野根の町へ入っていく。ここまでが「室戸・阿南海岸の比較的人家の続く地帯。野根を超えると国道が出来るまでは大変な難所。海岸に切り立った山がせり出し波打ち際を歩くところ。
この野根の東入り口近くに「東洋大師・明徳寺」がありました。

伝説では大師が野根の当地を選んで番外札所を設けられたとか、非常に歴史のあるお寺。大師が巡拝された折、地元の百姓さんが「ここの谷は枯れ滝で水に不自由をしていますと言った所、大師は枯れた滝の上に登って、錫杖を突きたてて祈願されたところ、清らかな水が噴出してきたとか。滝となって流れ出した水で大師は法衣を洗って里人に「この滝は二度と枯れることは無い」と言い残し立ち去ったとか。濡れた法衣はそのまま着ていったのだろうか。
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その後ご住職が祈願し「滝修行」が出来るように改良され今では修行場となっていました。細い水流ながら、懇々と水が迸っていました。

このお寺は種々の祈願をしてくださるお寺で、次々とご祈祷を乞う信者がお参りされていました。ご住職お一人で何もかもなさっているのか、ご祈祷中は「只今ご祈祷中につき納経ご希望の方は300円を箱にいれ、このお札をお持ち帰りください」の看板が飾ってありました。幹さんご祈祷を横目で見ながら、その紙を頂戴しました。でも紙が大きすぎて幹さんの「納経帳には収まりきらず」後々不自由を来たすこととなりました。
以下次回
一豊・千代もここに上陸したとか、当時は土佐の国は京・大阪から見れば僻地だったのだろうに。ここで上陸し山に分け入ってハリマヤ橋方面に陸路を進んだのか。
高知県に入って約5キロほど進むと山と海との間がやや広くなる。東洋町野根の町へ入っていく。ここまでが「室戸・阿南海岸の比較的人家の続く地帯。野根を超えると国道が出来るまでは大変な難所。海岸に切り立った山がせり出し波打ち際を歩くところ。
この野根の東入り口近くに「東洋大師・明徳寺」がありました。

伝説では大師が野根の当地を選んで番外札所を設けられたとか、非常に歴史のあるお寺。大師が巡拝された折、地元の百姓さんが「ここの谷は枯れ滝で水に不自由をしていますと言った所、大師は枯れた滝の上に登って、錫杖を突きたてて祈願されたところ、清らかな水が噴出してきたとか。滝となって流れ出した水で大師は法衣を洗って里人に「この滝は二度と枯れることは無い」と言い残し立ち去ったとか。濡れた法衣はそのまま着ていったのだろうか。
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その後ご住職が祈願し「滝修行」が出来るように改良され今では修行場となっていました。細い水流ながら、懇々と水が迸っていました。

このお寺は種々の祈願をしてくださるお寺で、次々とご祈祷を乞う信者がお参りされていました。ご住職お一人で何もかもなさっているのか、ご祈祷中は「只今ご祈祷中につき納経ご希望の方は300円を箱にいれ、このお札をお持ち帰りください」の看板が飾ってありました。幹さんご祈祷を横目で見ながら、その紙を頂戴しました。でも紙が大きすぎて幹さんの「納経帳には収まりきらず」後々不自由を来たすこととなりました。
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